沿革
福岡の市場のはじまり
日本最古の国際貿易都市のひとつであり、古来より大陸との交易で栄えた博多。
江戸時代末期、今の川端から中洲にかけての一面の田畑でとれた野菜は、近郊の野市でさばかれていたが、明治35年頃、西門橋(今の呉服町付近)に問屋が集まり、市場ができたのがはじまりとされている。
さらに大正8年には問屋がまとまり、千代町に青果市場を建設し営業を始めた。
このように自然発生的にできた青果市場は、しだいに都市の発展につれ大きくなった。
その後、生鮮食料品の供給を円滑にするため近代市場建設の動きがあり、大正12年に中央卸売市場法が制定された。昭和2年、京都に我が国で最初の中央卸売市場が開設されたのを皮切りに、全国に次々と設置され、福岡でも昭和13年に市営の青果市場が開かれたが、戦時体制の強化、統制へと時代が移り、中央卸売市場への移行計画は解消となった。
終戦後の昭和25年、戦災復興の大都市計画とともに、中央卸売市場設置計画が具体的に推進され、昭和28年10月には市議会において正式に決まった。
その当時、4社8市場が乱立しており、激しい牽制と競合を繰り返していたが、さまざまな障害や困難を克服して、同35年2月18日、「福岡大同青果株式会社」の創立総会が開催され、3月1日に待望の青果市場が長浜で開場した。
福岡市中央卸売市場の変遷
当社のできごと
昭和35年(1960) | 2月 | 福岡大同青果株式会社設立、市内既設8市場(千代・高宮・雑餉隈・香椎・姪浜・周船寺・前原・志免)にて営業 |
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3月 | 長浜市場にて営業開始 | |
昭和40年(1965) | 4月 | 周船寺・前原市場を統合し、糸島市場営業開始 |
昭和43年(1968) | 8月 | 長浜・高宮・雑餉隈各市場閉鎖 |
9月 | 五十川市場営業開始 | |
昭和49年(1974) | 6月 | 西部市場営業開始、姪浜市場閉鎖 |
昭和50年(1975) | 3月 | 志免市場閉鎖 |
昭和57年(1982) | 7月 | 東部市場業務開始、千代、香椎市場閉鎖 |
昭和62年(1987) | 6月 | 糸島市場を西部市場へ統合 |
平成元年(1988) | 2月 | 筑紫青果(株)と合併 |
平成19年(2009) | 1月 | 筑紫市場閉鎖 |
平成23年(2011) | 9月 | 株式会社福果物流設立 |
平成28年(2016) | 2月 | 五十川・東部・西部市場を統合し移転、ベジフルスタジアム開場・開業 |
平成30年(2018) | 5月 | バナナ加工センター竣工 |
10月 | 株式会社サイネスト設立 | |
11月 | ベジフルロジセンター竣工 | |
令和2年(2020) | 3月 | 創立60周年 |